神奈川|ベビーシッター|暗黒のミイラ時代から明るい世界へ!おばあちゃんになってもベビーシッター を続けたい理由

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パパママ応援団byベビーシッターがお送りする、
「日本全国ベビーシッター図鑑」6人目は神奈川県で
活動しているえりちゃんです。

えりちゃん/神奈川県在住/サポート対象年齢0才2ヶ月〜15才/サポート対象地域神奈川県・東京都/保育士資格所持/自治体届出済みベビーシッター/内閣府補助対象シッター/サポート回数900回以上

短期大学卒業後、保育園に就職ストレスで入院し半年後に離職。入院生活後、約3年配達の仕事に従事。院内保育園に7年勤務後ベビーシッター の道へ。お子さんの興味や年齢に応じた、即興で考える工作が得意。お母さんの気持ちに寄り添うサポートに定評がある。えりちゃんのインスタグラムはこちら

この記事は、2021年9月音声SNSクラブハウスでブッチーがインタビューした音源を
すぎちゃんが編集執筆したものです。パパママ応援団Twitterはこちらフォローや記事のご感想よろしくお願いします。

目次

プロローグ

短大を卒業したえりちゃんは、自分が通っていた保育園に就職をしました。保育園の頃「保育園の先生になりたい」と思い一筋に保育士への道へと進んでいったのです。
えりちゃんは父子家庭で育ちました。当時父子家庭の子は、保育園に入りにくい状況だったそうです。けれどおばあちゃんの尽力もあり保育園に入園できたとのことです。
えりちゃんの保育園の送迎はおばあちゃんが担っていました。幼いえりちゃんの手をひき、毎日送迎するおばあちゃん。
自分が保育園に連れていっていた孫が、先生として保育園に行くことになったのです。
えりちゃんの保育園への就職を、人一倍喜んだ様子が目に浮かびます。保育園の面接に行くと自分が通っていた頃の写真が玄関に飾ってあり、合格後手続きに訪れた時に「合格してやったー」と喜びを爆発させていたえりちゃん。
憧れていた保育士のスタートが、卒園した保育園。20才の女の子が希望と夢に胸を膨らませた「先生」としてのスタート。けれど、そこで待っていたものは想像もできない過酷な仕打ちでした。

自分が卒園した保育園への就職先でまさかの仕打ち

ブッチー

初めて就職した保育園が、自分が卒園した保育園だそうですね。

えりちゃん

そうなんです。同期はいなくて新人は私1人でした。

希望していた0.1歳クラスの担任に慣れたもののの先輩たちの「できて当たり前でしょ」の目線に心が折れそうでした。もし同期がいたら違っていたのかもしれない。と思うことはありました。
優しい先生ももちろんいました。園には私が通っていた時の先生も、主任としていたのです。けれど、その主任先生がアトピーの子を毛嫌いする先生でした。
親の前ではいい顔をして子どもを預かるのですが、親がいなくなると「泣いてるから向こうに連れて行って」など子どもに辛く当たる先生で。。。
私は子供の頃からアトピーがあり、食物アレルギーはなくて、ハウスダストやストレスで出てしまうタイプのアトピーなんです。体調によっては皮がむけたりすることもあるので、就職の時に「人にうつすものではないことを証明する診断書」も提出していました。
慣れない仕事やストレスから、アトピーの症状が悪化し、顔など目立つところに出るようになってきたんです。

アトピーのことで毎朝職員室に呼ばれる日々

アトピーがひどくなってから、主任先生に毎朝職員室に呼ばれるようになりました。「先生がアトピーだってことクラス頼りにのせようかしら」と執拗に言われるのです。アトピーは移るものでもないし、食べ物のアレルギーでもない。毎日毎日言われるとさすがにこたえました。

ブッチー

それはパワハラじゃないですか。。。

えりちゃん

毎朝職員室に呼ばれるのが、3ヶ月くらい続いて。。。

出勤しようとすると嘔吐する日々。けれど「仕事を休むのはダメなこと」と思っていたので、吐ききり熱がでて頭痛もひどいので頭に冷えピタ貼ったりしながら出勤していました。おばあちゃんと暮らしていたので、家でおばあちゃんに悟られないようにと気をつかいました。
ある日いよいよダメだと思い、受診したら即入院を言われるほど肌の状態はボロボロでした。目と鼻と口以外は包帯でぐるぐるまきにした状態になって。
ミイラみたいになっていたんですよ。本当は自分で行かないといけないのはわかっていたけど、どうしても保育園に行く勇気もなくて、親に退職願を出してもらったんです。

えりちゃん

半年くらい仕事はもちろん何もできなかった。メンタル崩壊で。。。

保育士になろうと思ったのは、年中、年長の担任の先生が大好きだったからなんです。保育士になろうと思った場所で、初めて先生になりすごく嬉しかった。けど、最後はミイラになるみたいな。。。

「ウケんだけどミイラになって。さっさとやめなよ」で目が覚めた!

ブッチー

半年耐えて、我慢しすぎて即入院になったわけですね。気持ちの切り替えは?どう踏んぎりをつけたのですか。

えりちゃん

切り替えられたのは、もうやめて次の就職した時ですね。

私は、おばあちゃんとずっと一緒に住んでいます。おばあちゃんも思い入れのある園で孫がそこに就職して頑張ってるって気持ちを知っていたから、保育園での仕打ちを打ち明けられなかった。
アトピーで入院直前の時におじいちゃんもおばあちゃんも私の顔を見ていて、おじいちゃんはアトピーが酷すぎて私の顔を見れなくて部屋から出て来れなかったんです。
同期がいればまた違ったのかなと思う。でも、地元の友人も自分のことに必死な時期で相談する状況でもなく。。。
家ではおばあちゃんに心配させないように、悟られないように必死で、家でも友人にも誰にも相談できない状況だったんです。
入院して、顔を包帯でぐるぐる巻きになってミイラになった。ミイラになった時に親友が病院に来てくれて

えりちゃん

「ウケんだけど。ミイラになってんじゃん。さっさとやめなよ」辛い深刻な雰囲気にならずに、あの時に普段通りにいさせてくれたのが、本当によかった。

「何やってんだよ」って感じがすごく良かったし救われた。保育園このままやめていいのかなと思っていたけど、友人の言葉で「やめよう」に変わったんです。我慢してする仕事じゃない、と気づけた。

ブッチー

就職した園が母園で、ある程度わかってて入るから安心もあったと思います。けれど就職してみたら自分の知ってた先生からの仕打ちはかなりショックでしたね。。。。

「やっぱり子どもと関わる仕事がしたい」

えりちゃん

次の仕事を探す時に、やっぱり小さい頃からの夢で保育園に戻りたかった。

けれど、保育園に戻る勇気がない。仕事を何にしようか考えた時に人と関わる仕事がしたいと思い、個人宅への配達の仕事を選びました。
結局保育の現場からは3年くらい離れて配達の仕事をしていたんです。けれど、配達の仕事をするうちに「やっぱり子どもと関わる仕事がしたい」と思うようになりました。
配達先のお母さんたちとも仲良しになり、「保育士むいてるから戻ったら」なんて声もかけられて、けど大きい保育園には怖くて戻れない、でも小規模保育園なら行けるかもと思っていたんです。
ある日配達先のお母さんが院内保育園の求人を見せてくれたんです。それでまた、保育の道へもどりました。

「もっとお母さんの近くに入れたらな」と思いベビーシッターの道へ

株式会社が経営する院内保育園へ就職。認可園とは違い、クライアントである病院の方針で保育内容が変わってしまうことが多々あった。まったく融通が効かないんです。
例えば、2人目妊娠中に切迫流産になったお母さん。勤務中に具合が悪くなったから仕事を早退するとなった時に、勤務時間外になるから子どもも連れて帰らなければいけない。
絶対安静になったお母さんに、勤務時間外なので規定通り、「子どもを連れて帰りなさい」となり「さすがにこれはないよな。切迫だよ命かかってんだよ。せめてお父さんが子どもを迎えにくるまで預かっておいていいか」と確認の電話を本社にしました。
「お母さんとお腹の子の命がかかっているのに、子どもを連れて帰らせるんですか?」と本社に抗議の電話をしたんです。
けれど「規則だからとダメ」だと言われて。。。さすがになんか違うと思いました。

えりちゃん

絶対安静なのに子供連れて帰ってどうやって安静にするの?何のために子供見てるんだろうって思ったんです。

他にも離婚調停中のお母さんの相談に乗ったりするうちに「もっとお母さんの近くに入れたらな」と思うようになったんです。園の保育士じゃなかったら「家まで連れて行こうか?」って言えるのにな、「もっと寄り添った保育ができるのにな」っていう思いがどんどん膨んでいきました。

ブッチー

自分の中でおかしいと思ったことが改善されなかったらもやもやしますよね。自分で調べて、ベビーシッターになったんですね。院内保育園で「もやっ」としていたことはベビーシッターになって改善されましたか?

えりちゃん

なりました!ベビーシッター は、ご家庭にあった保育ができます。

安全で怪我しなければ、マイルールで何でもできるのがベビーシッターといいところだと思います。
はじめは「1人なので大丈夫かな?」と思っていたけど慣れると大丈夫になりました。あとは、ストレスが減ったからか病気にならなくなりました笑

「いてくれてよかった」

2年前に面談の後ご依頼がなく、「必要なかったのかな?合わなかったのかな?」と思っていたんです。でも、最近依頼がきて、「すごく久々だけど呼んでもらえて嬉しいです」って言ったらお母さんも2人目を出産したら手が足りないなと思った時に、シッターさん探したら「えりさんいたから」見つけて私も嬉しかったんです。ってお母さんに言ってもらえて私とお母さんで手を取り合って喜ぶってシーンがあって、グッときました。

ブッチー

ブランクあって、連絡がきたんですね。そんな風なリアクションがあると嬉しいでしょう。

えりちゃん

「いてくれてよかった」ってすごいですよね!

覚えててくださったんだなっていうのと「いてくれてよかった」っていう一言が嬉しくて。
ある日突然テレビ電話がかかってきて、子どもたちからテレビ電話がきて「えりさん何してるの会いたいよ」っていうラブコールだったんです。
お母さんも気をつかってくれて子どもたちだけ電話に映るようにしてくれました。「どうしても子どもたちが電話したいっていうので。。。おやすみの時にすみません」って私がいない時でも、おうちで私の名前が出るってすごく幸せなことだなって思いました。

ブッチー

1軒1軒個別で対応できるから、できることですよね。どちらもすごく、
いい話ですね。

子どもたちと一緒に考えるのが好き

ブッチー

ベビーシッター の中で得意なサポートはありますか?

えりちゃん

基本的には乳児さんが好きですね。チョキチョキして
何か作る工作が得意かな。

その日のサポートでお子さんの話している内容や好きなものを聞いて、思いつきで「じゃあ、こうゆうの作ってみようか!」と提案することはよくあります。
例えば、ある日のサポートでカブトブシとクワガタのDVDを見たいと言って、お子さんが折り紙にクワガタなどの名前を書き出したんです。「そうだ!カード作んない??」って提案しました。
お家にチェキのようなトイカメラがあって、撮影したらその場で写真が出てくるので「図鑑の写真を撮って、折り紙に貼って裏に名前など書いてカードにしていこうよ」ってその場で作って終わりではなくて、その後も遊べるようなものを作るのが好きです。

ブッチー

即興でできるのは、すごい特技ですね。

院内保育園に勤務していた時も、保育雑誌をお子さんと一緒に見て「これ作りたい」っていう気持ちを尊重してじゃあ年齢に応じてどんな風に作れるかな?って考えるのが好きです。

ブッチー

これやりましょうではなく、子どもと相談して内容を決めるんですね。
ベビーシッターならではのサポートですね。

えりちゃん

集団保育でもやっていたのですが、ベビーシッターになってから何でもできるから工作に幅が広がりました。私も楽しいです。

もうマイルールでいいんだ!

ブッチー

ベビーシッターをする上での、サポートポリシーがあれば教えてください。

えりちゃん

私の中のマイルールは「ケガをしなければいい」「人を傷つけなければとりあえず何でもやってみよう」です。

保育園に勤務していた時は、保育園の保育観に合わせるのが苦しい時があって、保育園の枠の中で自分の保育観を合わせるところがありました。けれどベビーシッタを始めてから、もうマイルールでいいんだと思えました。
その上で、私はカメレオンだなと思って仕事に行っています。各ご家庭のルールがあるから各家庭のルールに染まろうと思うのです。

ブッチー

各ご家庭のルールに染まる時に、「このルールには染まれないな」と思う時はどうするんですか?

えりちゃん

はじめの面談で、食事のルール例えば机に座る。食べ物を投げるなどした時は注意します。とお伝えしています。

あと、人を傷つけるような言葉や危険なことをした時。これだけは譲れない私のルールとして、ヒアリングの時に伝えているのでそこを分かってもらえるご家庭から依頼がきます。それ以外は、そのご家庭のルールがその日のマイルールになるのでカメレオンになれる。

ブッチー

ダメなことは事前に伝えているから、えりちゃんにあったご家庭からご依頼が来るんですね。

おばあちゃんになるまでベビーシッター を続けていく

ブッチー

これから、こんなシッターになりたいなどありますか?

えりちゃん

子どもの頃から保育士になるのが夢でした。2つ目の夢は、自分がお母さんになってからも保育の現場に立ちたいです。

お母さんになって、もっともっとお母さんの気持ちが理解できるベビーシッターになりたい。女性同士だし、私自身が父子家庭で育ってきたので気持ちがわかる部分が多いと思う。
気持ちがわかっているはずだけど母親になってないからわからないことは絶対にあると思うので、芯から寄り添えるように母親になってからもベビーシッターを続けたいと思っています。
母親になってからが第2の1年目だと思っているのでそこからまた経験を積んで、おばあちゃんになるまでベビーシッターは続けていきたいです。

ブッチー

自分の中で、再スタートの時期をを決めているんですね。

お母さんになってからじゃないと、子育て中のお母さんのほんとの気持ちはわからないという考えです。なので、お母さんになってからまた、ベビーシッター の経験値を上げていきたいなと思います。

おすすめの絵本

好きな絵本は「だるまさんシリーズ」「ももんちゃんシリーズ」が好きです。ヨシタケシンスケさんも好きです。

どんどこ ももんちゃん

だるまさんを読んでいる時のお子さんの反応が好きで、私が揺れるとお子さんも一緒に揺れているいる様子がかわいくて。。。絵本は詳しくないのですが、おすすめの絵本です。

だるまさんが

エピローグ

えりちゃん

ミイラ時代マジ辛かった。でもめっちゃいい方向に進んでいってるじゃん私。明るい世界に飛んできている。今ベビーシッターを楽しんでるんだなと思いました。

インタビュー終了後の明るいえりちゃんの声が印象的でした。インタビュー前は私話せるかな?とドキドキしていたえりちゃん「私なんてすごい実績とかないし」とインタビューに対して尻込みしていたのですが、インタビュー後はどこかスッキリしたようなさらにパワーアップしたのを声からも感じました。

すぎちゃん

実は、私自身この記事と向き合うのはすごく勇気がいることでした。

前半の保育園での仕打ちがどうにもこうにも受け入れ難く、悲しみや怒りで胸が張り裂けそうになり、一度インタビューを聞いてからしばらく聞くことができませんでした。
20才の子が経験するにはあまりにも壮絶な経験。当時のえりちゃんの心情を思うとかける言葉がありません。けれどえりちゃんは明るく「私ミイラだったんです」と話してくれています。
明るく話せるまでに、どれほどの葛藤があっただろう。えりちゃんの気持ちをほんの少しでも知りたくて何度も何度もインタビュー記事を聞きました。
壮絶な経験をしながらも「やっぱり子どもと関わる仕事がしたい」と保育業界に戻ってきたえりちゃん。辛い経験をしたからこそお母さんたちの話ににも親身になり、それでもまだ寄り添い足りない!もっともっと寄り添いたいと話しています。えりちゃんの優しさに触れられるご家庭は、幸せになること間違いなしです。

えりちゃんのサポートを受けてみたいママさんはこちら(えりちゃんのインスタに飛びます)

ベビーシッター図鑑も6人目。保育園での勤務経験があるシッターの辛すぎる経験を聞くたびに、全国にいる保育士は大丈夫なのか?と心配になります。
夢を持ち保育士になったはずなのに、人間関係でやめていく保育士が多い現実。子どもが健やかに育つためには身近にいる大人が、心穏やかで笑顔でいられる環境が大切なのではないでしょうか。
1人で悩む保育士さん、クラブハウスのパパママ応援団に遊びに来てくださいね。

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