日本全国ベビーシッター図鑑12人目は岐阜県でベビーシッター、産後ケアで活躍するやすこ先生です。
パートナーを亡くし人生が暗闇におおわれていたとき、ベビーシッターを知ったやすこ先生。ベビーシッターになるまでの様々な経験や天職と感じている思いをお伺いしました。
やすこ先生/サポート対象地域・愛知県岐阜県/サポート対象年齢・0ヶ月〜15歳/保有資格/保育士・幼稚園教諭・産後ドゥーラ・整理収納アドバイザー1級/内閣府補助対象ベビーシッター/認可外保育施設設置届出済/サポート回数450回以上(2022年5月現在)
兄の将来を憂い、子育てしながら保育士資格取得を目指す
今日はお時間いただきありがとうございます。まず自己紹介をお願いします。
岐阜県でベビーシッター、産後ケア、家事代行をしているやすこと申します。やすこ先生と呼ばれています。
ベビーシッターをする前はどんな仕事をしていたのですか?
高校卒業後銀行に就職しました。
結婚後夫の仕事の都合で5年ほど海外に住み出産、子育ての経験もあるんですよ。帰国後末っ子が幼稚園に入るタイミングで、41歳の時に保育士資格を取得しました。
子育て中に保育士資格を取得したのですね。何かきっかけがあったのでしょうか?
身内の話になりますが、私は3人兄弟の末っ子で障害を抱えた兄がいます。歳を重ねるごとに、兄の存在が気がかりになってきていました。
若い頃には感じなかったのですが、自分が子どもを産み人生経験が増えるにつれ、いずれ私が両親と兄の面倒をみる日がくるだろうと漠然とした思いを抱くようになりました。
けれど私は高校卒業しすぐに働き出したため、福祉の世界は全く知らなかったんです。私がいつか兄の面倒をみるのであれば、福祉の世界を知っておいたほうがいいと考えるようになったのです。
調べる中で私の条件ですと保育士資格に受験資格があるということが分かりました。自分のためにも兄のためにも学べ私でも資格が取れそうだと思い、子育てしながら2年かけて保育士資格を取得したのです。
家事、子育てをしながら保育士資格を取得したのですね。
ちょうど末娘が幼稚園に入り、少し子育てが落ち着いてきた時期です。これから私は何をしていこうかと考えるタイミングでした。
試験で保育士資格を取得すると実習がないんです。現場で学びたいなという思いもあり、保育士資格の勉強中は小学生の学童保育や障がい児の放課後等デイサービス、日中一時支援のパートで働きました。
学童保育では、子どもと遊んだり生活したりする仕事があるんだなと多くのことを学びました。
保育士資格取得後はどうされたんですか?
公立保育園の臨時職員として働きました。人間関係に恵まれとても楽しかったです。
けれど5年ほど働くと、私はここでどれだけがんばっても給料は変わらず正社員にはなれない。いつまでも臨時職員のままでいることに、もどかしさを感じるようになりました。
これからの人生を考えた時に、子ども達も大きくなりますますお金がかかるようになる。同じ働くのであれば正社員になれるようなやりがいが欲しいと考えるようになりました。
兄のことが気がかりだったこともあり、障害者就労支援の仕事に転職したのです。
ベビーシッターをやってみたい!と感じた瞬間
ベビーシッターになるまでに銀行員→結婚→海外で出産子育て→学童保育に行きながら保育士資格取得→公立保育園の臨時職員→A型就労支援の経験があるのですね。
そうなんです。A型就労支援の職員として働いていた時に夫が交通事故でなくなったんです。
そうでしたか…
夫が亡くなったのが突然だったこともあり、何も手につかなくなって…人生が深い闇に包まれたように感じました。仕事も行けなくなり、毎日どうやって過ごしていたのか覚えていないくらいでした。
ある時「このままではいけない」と思いハローワークで仕事を探すようになりました。勤めていたA型就労支援の職場からも「戻ってきてほしい」と言われたのですが、以前働いていた所に戻ると夫のことを思い出しそうで…心と体は鉛のように重く、どうしても仕事に行けなくなりました。
私になんの仕事ができるんだろう?とたくさんある求人を見ても自分が仕事しているイメージがつかないんです。そんなある日ネットで検索していた時、ベビーシッターの仕事をみつけました。
その会社でベビーシッターをしている先輩方が皆さん輝いていて、私の中に光が差し込んだ感じがしたのです。夫が亡くなって以来、ずっと沈んだ気持ちが続き何を見てもときめきませんでした。けれどベビーシッターの仕事を知った瞬間、ベビーシッターをやってみたい!と思えたのです。
ベビーシッターを知りときめいた理由
人生の辛いときにベビーシッターを知りやってみたいと思ったのですね。なぜそう思ったのでしょう?
海外で子育てをしていた時、現地のベビーシッターへ預ける経験をしました。なのでベビーシッターがどういうものか知っていたのもあります。
公立保育園で勤務していた時、クラスで遅れがちな子や障がいのある子の加配保育士の経験もありました。
ひとりの子どものペースに合わせるのが全然苦ではなく、園長先生からもマンツーマンで保育するのをサポートしてほしいと言われていたため、自分には個別保育が向いているなと感じていたのもあると思います。
預ける側でベビーシッターの経験があったのは大きいですね。
ベビーシッターでの感動したエピソード
ベビーシッターを始めて400回ほどのサポート経験があるとお伺いしました。印象に残っているサポートはありますか?
はい。たくさんありますがベビーシッターをはじめて間もない頃、2歳のお子さまの定期サポートに行っていた時期があります。
半年ほどで家庭の都合で一旦サポートは終了になりました。けれど1年後に連絡が入り「二人目ができたので産後ケアでお世話になりたいです」と連絡が入りとても嬉しかったのを覚えています。
二人目ができて思い出し連絡をくれたんですね。それは嬉しいですね。
そうなんです。久しぶりにお会いしたお子さまもママもすごく元気そうでした。
何より以前サポートをしていた時お子さまの言葉が遅いことを気にされていたのですが、とてもおしゃべりが上手になっていたんです。ママと再開し成長を喜びあえる、また頼ってもらえて本当にありがたいなと思いました。
ベビーシッターならではのエピソードですね。保育園だと卒園したらそれっきりになることも多いでしょう。
けれどベビーシッターの場合、またご依頼があれば会える機会があるのがいいですよね。
おむつ替えが好き
やすこ先生の得意なサポートをお聞かせください。
ご依頼が多いのは0歳〜2歳のお子さまが多いです。寝かしつけと沐浴、ごはんをあげるのも得意です。
おむつ替えが好きなんです。特にうんちが出ていると健康だな、元気だなと思い私が嬉しくなってきます。
退院して一番ママがしんどい時期のサポートが得意なのですね。おむつ替えや寝かしつけなど出産後すぐで、慣れないママたちにとってサポートしてもらえると本当に助かる部分でしょう。
サポートポリシーと今後の展望
岐阜県で数少ないベビーシッターとして活躍されてますが、サポートポリシーや今後の展望などお聞かせください。
サポートポリシーは、ご縁があった家庭の生活が楽しく安心したものになるよう丁寧に関わるです。
今後の展望としては、もっと多くの方にベビーシッターを知ってほしいと考えています。
今までは一人で頑張ってきました、今後は地域の方や子育て支援者とつながりを持ち、私の活動を知ってもらったり、同じような活動をする皆さんで支援をつなぎあえたりする一員になりたいです。
一人でサポートできるご家庭には限りがあるというのは、ベビーシッターをしている人は誰しもぶつかる悩みではあります。
私はベビーシッター以外にも家事代行、産後ケアもしていますがどれも「ママのサポート」です。
広い意味でママのサポートをしている方と広くつながっていきたいと考えています。
今後岐阜県でママサポートをしている方と繋がり、大きな輪になるといいですね。
そうなるといいです。やりたいことはたくさんあって、ママのサポートをする人たちと、イベントをしたりママをお家に呼んでママカフェをしたりと夢はふくらむばかりです。
今後のやすこ先生の活動に目が離せませんね。
パパママへメッセージ
最後にパパママへメッセージをお願いします。
子育ては長いようで短いです。けれど子育て真っ只中の時は永遠に続くように感じ、しんどくなる時もありますよね。
そんな時は子育ては皆でするものと思い頼ってほしいです。
もし頼ってなんか違うなと思ってもあきらめないで、また違うだれかに頼ってください。自分が幸せになるために、頼ることを諦めないでほしいです。
本日はありがとうございました。岐阜県でベビーシッター、産後ケア、家事代行を探している方はやすこ先生に連絡してみてくださいね!
やすこ先生のSNS・お問い合わせは下記になります。
Instagram:https://www.instagram.com/yasuko.o_tsuka
mail:yaccopanda☆i.softbank.jp(☆を@に変えてくださいね)
辛い経験を乗り越え、やさしい振る舞いや言葉が印象的なやすこ先生。「ベビーシッターは人生の光」という言葉通りサポート回数を重ねるごとに輝きを増している様子が伝わってきました。
同じ思いの仲間とつながり、岐阜のベビーシッター、産後ケアを牽引する存在になるでしょう。